こだわり夫婦のお出かけブログ

潔癖が止まらない夫婦ふたり。快適な旅を追求します。

会津若松へ『八重の桜』を訪ねた

約半年ぶりの更新です。

最近はちょこまかお出かけが多く、関東一円はほぼ制覇してまいりました。

神奈川、茨城、千葉、埼玉、山梨、栃木…などなど『るるぶドライブ関東 ’19』もめくりまくってクタクタガイドブックになっています。

しかしながらブログUPするにはやや取るに足りない情報量…( ;∀;)

 

というわけで、先月初めて泊まりでロングドライブへ行ってきました!

行先は…

 

福島県会津若松

 

というのも、遅ればせながら綾瀬はるかさん主演のNHK大河『八重の桜』に触発され会津鶴ヶ城へ。

 

妻は前々から行きたいと言っていたのですが、なんせ雪深いところですから山道を越え車で行こうとすると季節が限られてくるのです。

ようやく雪の心配がなくなった5月、本当にいい季節に行ってきました。

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いや~良いですね、あのドラマ。時代の舞台は「戊辰戦争」です。

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ちなみに戊辰戦争とは1868年で京都(鳥羽伏見の戦い)で勃発してから、翌年函館(五稜郭の戦い)で終結するまでの総称です。

厳密にはその間にあった福島県での「会津戦争」が舞台です。

 

『八重の桜』を観ることで、なぜ政治家に山口県出身者が多いのか、そもそも現代政治の礎もこの戊辰戦争で構図が決まったと言っても過言ではなく、まさに歴史の過渡期であったことが感動的に理解できます。

 

白虎隊も出てきます。新選組とごっちゃになっている方も『八重の桜』ではすべて絡んで出てきますので「お~そうだったのか」的によく分かります(^_-)-☆

勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉もこの戊辰戦争で生まれました。

恥ずかしながら、知らなかったことだらけです(^_^;)>

 

何より会津がこんな可哀想な目に遭っていたなんて「悲劇の会津」も今まで知りもしませんでした。時代の波にのまれた、ホントに気の毒すぎる運命を辿っています。

綾瀬はるかさん演じる八重さんの「会津は逆賊なんかじゃねぇ!」「何度考えてもわがらねえ。天子様(天皇)の為、公方様(徳川家)の為尽くしてきた会津がなじょして逆賊と言われねばならねえのが。」という鬼気迫るセリフが心に残ります。

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本当に演技が上手ですね、綾瀬はるかさんは。すっかり引き込まれてしまいました。

鶴ヶ城内にも彼女のメッセージが記念碑として建っています。このドラマが2013年ですので随分盛り上がったのだと思います↓

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会津旅行に向けて怒涛のようにこのドラマをU-NEXTで毎日観ていたので、見終わってからは会津ことばに染まります(←すぐ影響受ける夫婦😆)

「ありがとなし」

「さすけねぇ」

「やってくなんしょ」

と、わが家でしばらく乱用されておりました(^^;)

この会津旅行で本場の会津ことばを聞きたいなぁと思っておりましたが、残念ながらホテルでもスタッフの皆さん標準語でちょっと残念でした

 

さて泊まったホテルはこちら↓

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星野リゾート 磐梯山温泉ホテル』です。(画像:「JTB」紹介ページ)

 

近くで見ると建物の古さは否めませんが、どこも綺麗に掃除されていて快適でした。調査不足という痛恨のミスでユニットバスでしたが、お部屋は広めで全体的によかったです。(妻がユニットバスをひどく嫌う…(-"-))

 

宿泊費は日曜チェックインの1泊夕朝食🍴二食付きで25,000円!

 

夕食があるのはありがたいです。というか、必ず付けた方が良いです。

ホテルまでは山をぐんぐん登ります。ぐるぐる登ります。

着いたのは高台の素晴らしい景色ですが、到着した以上周囲には何にもありません!前と後ろに磐梯山猪苗代湖、ゴルフコースしかありません!

こんな感じ↓ 周囲は美しいです。

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夕食を付けないなら食べてからホテルへ向かうか、何か買ってから向かってください。 

朝食も夕食もビュッフェ形式です。

ホテルが食事に力を入れていらっしゃるらしく、なかなか凝った珍しいものが多かったです↓

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ホテルスタッフはさすがの星野リゾートクオリティ✨

ホスピタリティ、立ち居振る舞い、文句の付け所がありません♪ とても気分よく過ごすことができました。

 

↓こちらは福島県名物の赤べこ起き上がり小法師

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↓これは帰りに寄った白河で買った白河だるま

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とっても可愛いし、厄除けです。置くところは東北なだけに?部屋の東北に置くのが良いのだそうです。(だるまはお顔が南向きが良いそうです) 

 

↓これが会津の負けが決定的となった激戦地・白河小峰城

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当時土佐藩板垣退助もここに立って会津の敵軍(新政府軍)として参戦していたのです。小峰城の再建には弾痕の残った柱が使われており、見ることができます。

 

会津若松市までは東京から休憩含め約5時間弱でした。

行きは西那須野塩原ICで降り国道400号、帰りは白河ICを目指し国道289号を通ります。がっつり山道かと思いきや(山道ですが)、きちんと整備されていて走りやすく景色の美しいドライブコースでした🚙

どっか行きたいな~と思っている関東圏の方には会津ドライブ、おすすめします♪

のどかでゆっくり時間が流れる感じがなんとも癒されます。訪れる際はぜひ『八重の桜』をご覧になって行かれると、趣きや感動もひとしおです!100倍楽しめます。

 

戊辰戦争会津一帯は焼け野原になり貴重な文化遺産がほとんど失われてしまいましたが、当時の砲弾跡(長命寺の壁)や鶴ヶ城の石垣(甲賀町口門跡)など、未だ残っている場所もあります。数少ない現存史跡です。

 

福島県で「先の大戦」というと第二次世界大戦ではなく「戊辰戦争」だそうで、150年経った今でも長州(山口県)を恨んでいるとか(まさか( ;∀;))(『ブラタモリ会津若松編 説)

それだけ歴史が色濃く残り、会津の運命をひっくり返す大きな戦争だったことは間違いありません。

明治維新の歴史好きにはたまらない場所です。新選組や白虎隊に多くの人が魅了される理由も納得できました。

 

会津藩士が最後まで貫き通した「もののふ(武士)の義」

 

歴史の街、会津

本当に素晴らしいところでした!旅行の候補地としてぜひどうぞ!(^^)!

 最後まで読んでくださって、ありがとなし。

<(_ _)>


旅の知識・楽しみ方ランキング

やっと旅費公開!

お久しぶりでございますm(__)m
前記事で 『旅費を公開!』 と銘打っておきながら早数か月。
 
昨年9月に思い切って車を購入🚙してからちょこちょこ関東一円を毎週ドライブ、という浮かれポンチな日々を過ごしておりましたコンパクトカーですが、燃費のいいオツな奴でガソリン代もそうかからず助かっております。
 
 
お出かけブログと言いつつ出かけっぱなしで更新が追いつかず…
最近は道路の凍結が気になり、スタッドレスではないのでようやくドライブを自粛する期間に入りました。
 
というわけで久々にログインすると、ありがたいことに見てくださっている読者の方が一定数おられたので慌てて書いている次第でございますm(__)m
 
 
やはりまずは前回旅行の旅費
これが一番大切ですね☆
 
利用したサイトはるるぶトラベル
使いやすいし、シークレットクーポンが出てきた際には無敵の最安値♪です。
しかしながら、これも地味に時間を追って価格変動するパターンのやつなので、どこが底値か分からず待って待って「やった~!」と思うこともありますし「うっそ~値段上がったー(# ゚Д゚)」と落胆を繰り返す日々がしばらく続きます。
 
 
 
沖縄旅行(2018年 春)
<旅程・旅費内訳大公開!> 
 
コレが旅程↓↓↓  


✈2018年6月22日(金) 羽田(08:25) ⇒ 那覇(11:00) 


1泊目 『ザ・サザンリンクスリゾートホテル』

〈食事〉
朝○
昼×
夕×

 

2泊目 『百名伽藍』

〈食事〉
朝○
昼×
夕○


✈2018年6月24日(日)那覇(19:45) ⇒ 羽田(22:05) 

 
旅行代金合計   167,600円(消費税込)
クーポン割引額 ▲12,000円
支払い金額 155600円
 
 
 
『百名伽藍』の宿泊だけでも個別で予約すると一泊10万円です。
それにプラス5万5千円程度で2人分のもう一泊ホテルと飛行機往復です!
 
 
航空券とホテルをバラバラに予約するとこうはいきません。
多少セット割が効くサイトもありますが、なんせ航空券を単体で予約するとその時点からキャンセル料が発生する場合が多いです。
こういったパックツアーの予約であれば、やむを得ないキャンセルでも一定日数以前であればキャンセル料が発生しないなど、安心感もありますね☆
 
 
パックツアーというと、昔は旗持ったガイドさんが旅行客を引き連れて…みたいなイメージがありましたが、現在はほとんど添乗員の同行がない商品が多く(特に国内旅行は)、実際は飛行機の時間もホテルも自由に選びたい放題です。
 
ホテルのアップグレードに追加料金を払ったり飛行機も人気時間帯に順じて追加料金が発生するので、予算を決めて何に対価を払うかなど、組み合わせを考えるのは本当に楽しいです♪
 
いかにコスパのいい組み合わせを作るかをうちは夫婦で競うように自慢し合ってプレゼンしています
(*ノωノ)
 
旅行は考えたり準備をする時間が一番ワクワクします。
始まってしまえば終わりに近づくような気がしてちょっと寂しくなるので、旅行ロスは旅行で埋める。
コレが理想!そうあくまで理想(-"-)
 
 
そして『るるぶトラベル』へも、もちろんポイントサイト経由で。
今回も「ハピタス」でした。
 
ポイントも貯まって実質さらに安く行くことができました!
ポイントサイト経由、皆様もぜひお忘れなく‼

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最後までお読み頂きありがとうございましたm(__)m

旅の知識・楽しみ方ランキング

宿泊記<百名伽藍>

2泊目はなんとなんと沖縄最高級宿のひとつ、

『百名伽藍(ひゃくながらん)

初めてガイドブックで見たとき1泊10万円に度肝を抜かれたホテル。

「このホテルに泊まるぅ~?」なんて妻に冗談半分で言われ、「お、おぅ」と軽く逸らしたときから3年、結婚10周年を記念してついに泊まってきました~!!

 

結果から申しますと、もう最高~でした(≧▽≦)

ハード・ソフト面、非の付け所がありません!

 

場所は南部のビーチ沿いに建っているのでどのお部屋からもオーシャンフロント確約です。 

ホテル構えはまるで要塞のよう。既に他と一線を画している感じです。

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裏側↓

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ようやく到着し、「百名伽藍」の看板前で記念撮影をもたもたやっていると中から従業員の方が偶然出てこられて「よろしければお撮りしましょうか?」と私たちが宿泊客とはまだ知らずに、にこやかに声を掛けてくださいました。

ここではや好印象♡

 

期待は高まります。

 

フロントへ案内され、穏やかな雰囲気の中チェックイン。

騒々しさや慌ただしさは皆無です✨

静寂そのもので、波の音や鳥の声が聞こえる本当に癒される非日常の空間です。

それもそのはず、こちらのホテルは13歳以上の宿泊に限定。こどもは好きな方ですが、ギャン泣きや奇声が続くとやはりしんどい…。

沖縄にはホテルが数え切れない程あるのに大人のみのホテルって本当少ないんですよ。私が知る限り他に2つか3つあるだけ。とても貴重です。

 

「百名伽藍」には綺麗な青い海にのどかなプライベートビーチ、自然の音だけが流れる静かな時間美味しいお料理。優しくプロフェッショナルなホテルスタッフ。

すべて揃いました!という感じです!(^^)!

 

そしてチェックイン時には食事に関して苦手なもの、食べられないものは無いかなどいろいろその他希望を聞いて下さいます。その後部屋へ。

 

オ~シャンフロント!

素晴らしい。部屋も掃除が行き届いてピカピカです。

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↑テレビは隠れる

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館内をウロウロできる部屋着まで。これが心地良いんですよー。一見作務衣のようです。ガーゼ生地でさらさら。販売してあったのでコレは買い!と思って値段を見たら…3万円超え(おぉ…)。

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どおりで着心地がいいはずだ…。

買うのはまた今度、ということで

(。-_-。)

 

スリッパ下駄はこんなに可愛いのになんと3,000円弱。奇跡的にリーズナブルなので、これだけ夫婦ペアで買いました。

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 身の回りのものも品質の良いものを提供して下さっているんですね~。宿泊料金に見合っています♪

 トイレへ向かう部屋の一角にもミニ庭園↓

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なんというかすべてにおいて死角がないんです。すぐ文句を言う妻もおとなしく、とても喜んでいます(これぞ平和だ)。

 

そして楽しみのホテル探検です。要塞みたいなので、なお楽しい♪

↓こんな演出

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↓何に使う広間だろう?

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そしてあっちへウロウロ、こっちへウロウロ、いちいち「おー綺麗、スゴイ」などと感動しながら海へ。

ここはすぐ降りたところのプライベートビーチ。この時はだれもいませんでしたが、その後外国人カップルがシュノーケリングを楽しんでいました。

まさに「大人の隠れ家」というこのホテルのコンセプトがピッタリな光景です。

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経路が分からず迷っていると、いつも絶妙のタイミングでホテルスタッフさんが現れる。

これは完全な個人的推測ですが、おそらくあちこちに防犯カメラがあって防犯機能はもちろんのこと、迷っているお客さんへ従業員さんがすぐ向かい、道案内対応ができる用途にもなっているのでは、と。

おそらくそれほど多くない従業員数で、あの広く複雑な構造のホテルを巡回する暇はないと思うのです。この推測が当たっていればホスピタリティのアイディアとしてはスゴイですね。

 

そして楽しみの夕食🍴

ホテル館内をウロウロしても誰にも会わなかったので正直、だれもおらずシーンとした中で妻と二人きりの空間だったらどうしようと思いましたが、夕食の広間にはこんなに宿泊客がいたのかと思うくらい人がいました。と言っても5組くらいですが。

なんかひと安心。

それでも静かな空間を壊さないようにそれぞれが声を抑えて話すので、人が多くても、お皿のカチャカチャという音とときどき笑い声が心地よく響くなんとも穏やかな雰囲気です。皆さん配慮があるので、私たちも夕食撮りのスマホのシャッター音に気遣う程でした(^^;)。

こういう雰囲気での食事は色んな意味でリッチさや優雅さがありますね。

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ここは宿泊料金が高いですが、こんなに豪華な夕食付↓なので思いの外リーズナブルかもしれません。

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↑右上のお椀、コレ高いんです。販売してありました。本当にきれいだったので買おうか迷いましたが、うちの毎日の食卓にはそぐわないと賢明な判断。

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どれも本当に美味しかったです。唯一、沢蟹の素揚げだけが食べられませんでした。ごめんなさいm(__)m(大きなカニは足むしって食べるのに姿揚げだとかじる勇気が出ないのか不思議だ…)↓真ん中にいる小さいやつ。

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食事のあとは、予約した貸し切り露天風呂です。

時間も無制限で、そこには和風の休息室、となりには綺麗な洗面・トイレがあり、着替え・ミネラルウォーターまで準備してあります↓

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 ↓なぜか戸棚に布団セット。時間無制限だから寝てもいいのか?いくらなんでも?

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夜は星がめちゃくちゃ綺麗でした。

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朝は摩文仁の丘も見えます。右端。

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非日常の サラリーマンの極楽♪ 

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ゆっくり浸かって堪能したら、出る旨だけ電話で伝えて部屋へ戻ります。

行くときはスタッフの方が迎えに来てくださいます。

 

火照った体を冷たいコーラで冷やします。

冷蔵庫の中のドリンクは最近無料になったそうです♪

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と、知らずに買いこむ

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シーサーのコーラ。沖縄っぽいですね。というか沖縄です。

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ベッドもふかふかでした。

おやすみなさーい 💤

 

翌朝、楽しみの朝ごはん。

夕食と同じ広間です。どれも趣向を凝らしてあって、う~ん美味い!

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朝もそこそこの人数の宿泊客と一緒でしたが、ひとりで来ている人が2人いました。

仕事で来ているのかリフレッシュで来ているのかもちろん分かりませんが、リッチすぎる…(+o+) そしてカッコいい。

もし自分もフラっと沖縄をひとり旅したら、と考えたら間違いなくコストを最小限に抑えた極狭小ホテルにしてしまう。さらっと一人旅、さくっと百名伽藍。こんな絵に描いたような人が本当にいるようだ。

さて、私たちにはガッツリ大イベント百名伽藍の宿泊ももう終わり。

( ノД`)シクシク…

 

チェックイン時同様、チェックアウトもゆったりとした雰囲気の中で手続きを終え、最後の最後まで慌ただしさを感じさせず(チェックアウトが重なったようで本当は忙しかったと思います)ホテルを後に。

妻が「また来ます!」と言うとにこやかに「お待ちしております」と。もはや悪魔のささやきです。虜になった妻は「次は2泊したい!」そう…( ;∀;)

そして私たちの車が見えなくなるまで見送ってくださいました。

 

その後、1週間ほどして総支配人さんより絵葉書が届きました。

お部屋にあったアンケートへの記入のお礼の言葉でした。各ホテルでアンケートがあれば書くことが殆どなのですが、お礼の便りを頂いたのは初めてです。お名前を見ると女性の支配人。

妻は”やっぱり”、と思ったそう。細やかな気配りやアイディアが、男では思いつきにくい女性目線だというのです。うん、そう言われれば確かに。

 

とにかく本当に癒されました。高級ホテルなのに気取ることなく、何よりスタッフさんが楽しそうに仕事をしていらっしゃるので、それがイイです♪

いい雰囲気を作るのは最終的には”人”だなぁと思わされることがよくありますが、このホテルで改めて実感しました。

現在無敵レベルです☆

高い料金だったのにあまりいいホテルに当たらないなぁと感じている人には、ぜひ泊まって頂きたい、超おススメホテルでしたっ!

 

次回はサクッと今回の旅費を公開です☆

 

最後まで読んで頂きありがとうございましたm(__)m 


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宿泊記<ザ・サザンリンクス リゾートホテル>

さて、ここからは恒例のホテル宿泊記でございます。

今回の旅行も2泊3日でありながら、2カ所のホテルに滞在しました。

慌ただしいですがホテル入室の瞬間も旅の大きな楽しみですので

(*´▽`*)

 

★1泊目はこちら、本島南部にある「ザ・サザンリンクスリゾートホテル」です↓↓

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 <ザ・サザンリンクスリゾートホテルの魅力>

・写真のとおりとにかく敷地が広大で開放感いっぱい

・青い海とゴルフグリーンのコントラストがとにかく美しい

・部屋が広い(全室40平米)、なのに宿泊料金が破格

・そして駐車場無料

 

着くやいなや、「広ーい!」「海すごーい!」「グリーン綺麗!」とその景色に目が奪われます。特にホテル入って右側のレストラン(後ほどご紹介)から見える自然の色の美しさにはため息が出るほど。

部屋からの景色↓

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こればかりは天気に左右されますが、晴天であればこれぞ沖縄!という景色に早速出会えます。

 

このホテルが所有するゴルフコースは海越えショットが要求される沖縄屈指のコースだそうです。たしかに岸壁に展開されるこの美しいグリーンはゴルフをしない私ですらやってみたくなりました。手入れも素晴らしいです。

そんな維持費はすべて宿泊料金に反映されているのかと思いきや、かなりの格安!

アクセスの悪さ(車必須)や施設の古さがあるのでしょうが、こんなに部屋も広く綺麗です。

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入り口のドアはゴルフボールを模したノブ。バブルを感じさせます。

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部屋の中に戻ります。

ベッドの向こうがバスルーム。湯船に浸かりながらテレビが見える角度です。

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リッチな感じで極楽でした♪

トイレ。洗面所。水回りはとても綺麗で快適です✨

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ここはゴルフをしたい人はもちろん、南部観光をする人にはとても便利なホテルです。

このホテルから摩文仁終戦式典へ向かったのですがタクシーで1200円ほどでした。

 南部にはたくさん戦跡があるので「喜屋武岬」や「ひめゆりの塔」「平和祈念資料館」、それから「ニライカナイ橋」「斎場御嶽」などの観光名所を周るにはもってこいのアクセスです。

ただ、駐車場は無料ですが少し遠いです。

エントランスまで徒歩3,4分なのですが、石畳で坂道なので遠く感じます。

ですので大きく重い荷物があるときは一旦エントランスの車寄せに付けて、荷物を降ろしてから駐車場へ停めにいくのがお勧めです。

 

<ザ・サザンリンクスリゾートホテルの残念なところ>

・施設が古い

・周囲に何もない

・ホスピタリティを感じない

・禁煙ルームが無い

 

このホテルをリピートするかといえば、少し考えてしまう…。 

バブル時代を感じさせる古さがやはり否めません。

 

豪華でゆったり感はありますが、なんとなく清潔感がない。

このへんは好みだとは思います。

広さに気持ちのゆとりを感じる人、新しくキラキラした綺麗さにリラックスできる人。

私達はどうにも知らず知らずに潔癖スコープが働いてしまうので完全に後者ですね。

(。-_-。)

 

テーブルもきちんと拭かれていなかったりして、もう少し清掃が行き届いていれば…、という残念な感じ。ソファもシミがあったりで結局このエリアは荷物を置くだけにとどまりました↓(逆光で見えにくいですね)

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ゴルフコースの中にホテルがある、といった具合なので周囲にレストランやコンビニがありません。どこへ行くのも車を出すことになるので到着時間が遅いならホテルにチェックインする前に食事を済ませる、部屋で飲み食いする物を買い込んでおくといいと思います。

 

次はホテルの印象を左右する”ホスピタリティ”

↓門構えの大きなホテルなので、さぞや仰々しいまでのお出迎えがあるのかと思いきや着いても誰も来ないし、フロントの場所もよく分からない。

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ポツン…(-"-)

 

フロントはどこだ…。

 

入って左側のカウンター越しに3名程の従業員の方がいらっしゃる。

もしやここ?

フロントはホテルの顔!みたいな感じではなく、少し大きな御用聞きコーナー、といった構えです。

 

恐る恐るチェックインの旨を伝えると、どうやらフロントで正解のよう。

そして対応も接客意識も、必要最低限にとりおこなわれました。

良く言えばドライ。うん。

 

周りはゴルフを楽しむバブル感満載のオジ様たちがウロウロ。

いまにも葉巻をくわえそうな雰囲気です(←偏見が強い)。

何となくゴルフプレーが完全メインでそれ以外は付属サービス、といったスタンスの印象を受けました。

 

フロントにおいては何を聞いてもプロフェッショナルな受け答えではないし、余分なおもてなしはありません。

ただ、このホテルは今どき珍しい全室喫煙OKなので嫌煙家の私たちが事前にメールで「消臭対応お願いします」と依頼しておいた分はきちんと対応して下さっていました。お陰様で心配していたタバコの臭いも全然なく、快適に過ごせました。

m(__)m

 

さて到着日の夕食です。

初日からあちこち周って疲れていたので、コンビニで飲料のみ調達してこちらのホテルレストラン『玻名城』で頂きました。

ロビー横のレストランです。(また逆光…)

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あまりお腹が減っていなかったのと、一応ダイエット意識が常にあるので軽めのものを注文して妻とシェアです。

↓ソーキ焼きそば(一見、見た目は…だが、味は美味しい!)

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↓定番のゴーヤチャンプルー。期待を裏切らない美味しさ!

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レストランも広々。ゆっくり食事をして部屋はすぐそこ、帰る面倒さがない。

ホテル内レストランはこれが醍醐味ですね。本当にリラックスできました

(^^♪

料理価格は忘れてしまいましたが、ホテルレストランらしからぬリーズナブルなお値段に妻がニヤリとしたことを覚えています。

 ( ̄▽ ̄)/

 

さて翌朝。楽しみのホテル朝食。

場所は昨夜利用したレストラン『玻名城』です。

↓ 朝は景色が見渡せて素晴らしく美しい!

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↓朝食バイキング(私) 朝からもりもり食べます。

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↓朝食バイキング(妻)やっぱりもりもり食べます。

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とても美味しかったです。沖縄の料理は今のところどれもいつも美味しい♪

朝食は一日の活力。たらふく食べて9時頃チェックアウトし、その後式典へと向かいました。

 

感想

ホテルとしての基本対応はもちろん大丈夫ですので、何を重視・期待するかですね。

”ホスピタリティ”と”キラキラ感”さえ期待しなければコスパ最高のホテルです☆

自分たちがゴルフを始めたら、絶対チャレンジしたいゴルフコースであることも間違いありません。ゴルフ三昧の優雅な沖縄滞在をお考えの方にはうってつけのホテルです!

(*´▽`*)♪

 

いつも最後までお読み下さりありがとうございますm(__)m


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沖縄旅行記(2018年 夏)③「浦添大公園管理事務所」と「缶詰・カンパン壕」

ここ1ヶ月なんだかんだと野暮用で忙しく、前回記事で続きを勿体つけたまま書くのが遅くなってしまいました…

<(_ _)>

 

前田高地からようやく辿り着いた「浦添大公園南エントランス管理事務所」。

このチラシを見て行きました ↓

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建物は新しいのか、とても綺麗です。訪問者もいません…

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館内はそれほど広くありませんが、貴重な戦時中の発掘された遺物が展示されています。中でも私が一番「おぉ~!」と興奮したのがこの前田高地のジオラマ

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一番大事な引きの全体写真に限ってピンぼけに仕上がる痛恨のミス

(*´Д`)

とても精巧にできていて、全貌が見渡せます(コレは鮮明)。

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職員さんがジオラマを指しながら、「この辺りに米軍が基地を構えてここから攻撃したんですよ」と『ハクソーリッジ』を彷彿とさせる説明をして下さいました。

で囲ってある「ワカリジー」の右側辺り250mほどのところに小高い丘陵があり、ここを死守しなければならなかったものの攻撃しては隊は全滅、生還する日本兵はほとんどいなかったことから「魔の高地」と呼ばれました。(部分↓)

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こんな小さな丘を死守する為に壮絶な戦闘があったのですね。

ワカリジーは近くに寄ると今でも爆撃の跡で陥没だらけです↓

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入館してからしばらく、なるほどここだと米軍からは丸見えだったな、と想像を巡らせてはジーッとしつこくジオラマを見つめていると、職員さんが『ハクソーリッジ』の主人公・デズモンド ドスが戦後この前田高地に訪れたのですよ、とその時の写真を見せてくださいました!

貴重な写真がコレです!!!

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 そしてその写真の枠にはリアルで細かな記録が手書きされています。

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1995年の訪問のようです。23年前ですが、時代はがっつり現代です。

生き証人で、しかもあんな想像もつかないような戦時中にいた方なんだと思うとうまく表現できませんが、なんだか圧倒されます。

御本人はどんな気持ちでここに立っておられたのでしょう。日米両軍の何百、何千という前線の兵士が撃たれ、爆殺されたのを見た場所に日本人と穏やかに会話し、そこに立つ…。

時代の変化をひたすらに感じるのか、はたまたタイムスリップしてしまうのか。

 『ハクソーリッジ』を観た人には感慨深く、たまらない写真ではないでしょうか。

ぜひ現地に訪れて実物を見て頂きたいです。

 

余談ですが、生き証人と言えばこちらは元陸軍大尉だった伊東孝一さんです(の自叙伝です)

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この方も弱冠24歳で大隊長として沖縄戦で大活躍され、最高指揮・牛島満中将からその功績に対し感謝状を受けた方です。

「ありったけの地獄を一つに集めた」沖縄戦で日本軍は玉砕し、その中で生き残られたことは奇跡中の奇跡だと思います。そして私の知る限り今もご健在です。

御歳98歳。

「生き残った罪、だからその罰」と、戦争の責任を一人で背負い続けてこられました。

伊東さんが取り上げられた記事です↓↓

沖縄戦で生き残った男が「封印」した356通の手紙。時空を超え、若者たちが遺族に届ける

 

亡くなった人は無論のこと、生き残った人もまた戦争の犠牲者なんですよね。

国家の決定に駆り出され、命令に従い、殺し合って、戦争は終わり、その後国家は復興。

戦った生身の人間はすっかり置いてけぼりで、時代はガラリと変わっても何十年も贖罪の日々を送ることになるわけです。 

戦時中、部下たちに壕の外に出るなと命令し続け、結局死ぬまで太陽の光を見せてあげられなかった贖罪として、生き残ってしまったご自分は部下に申し訳ないと外に出ないと決めて、もう70年以上も自宅から一歩も出ず過ごしていらっしゃる元部隊長の方もおられるそうです。

 

90歳を超える体験者の方々がいまだに生き残った十字架を背負いながら毎日を過ごしていらっしゃるのを聞くと戦争の罪深さを感じずにはいられません。

時代の流れ、と言えばそれまででしょうが戦争体験をした方は70年以上経つ今でも鮮明に覚えておられたりして、戦争を知らない私たちにはやはり想像も及ばないほどの出来事だったのだと思います。

 

さてジオラマを堪能した後、見逃し続けた「缶詰・カンパン壕」へ。

前田高地には日本軍用の食料を保管していた「缶詰壕」や「カンパン壕」と呼ばれた壕が残っています。

またもや「ハブ注意」に脅かされながら、怖さを振り払うようにずんずん前進します。

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小さなゲートを開けて入ります。

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階段が設置されています。

お天気が良く明るいので何とか進めますが周りが暗いと危険と恐怖しかありません。いろんな意味で。

訪れる際は、どうぞ安全のためにも真っ昼間にいらっしゃってください。

 

『うらそえナビ』のHPからお借りしました。こちらの方が見やすいですね。

(^^;)>

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ジオラマで見ると…(載せたくて仕方がない)

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印の辺りです。

ジオラマ手前側が日本軍、向こう側が米軍陣地になります。

↓缶詰壕への案内板

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こちらが缶詰壕

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 どの壕も岩盤が下がり危険なため、入ることはできません。

↓カンパン壕

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水が流れ込んでしまっています。

あちこちに壕跡があります。

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当時はもう少し広かったのでしょうが、こんな薄暗いなかで米軍の攻撃にさらされながら何日も過ごしていたのかと思うと肉体も精神も環境も極限の劣悪レベルだったのでしょう。

米軍は戦中でも軍の交代があり、心身のリフレッシュ期間が設けられていたようです。日本軍は火力・兵力の圧倒的不利に加え、兵士の体力面においても不利、だったのですね。

 

どこのどんな史跡でもそうですが、背景を知らないと「ふーん」で終わりがちです。そんなわけで私達夫婦はより深く意味のある旅になるよう事前学習をするわけですが、知れば知るほど何でもない岩や壁にすら感動します。

もしこのブログ記事を読んで「缶詰・カンパン壕」を訪れようと思ってくださる方もおられるかもしれないので、ここで背景となるエピソードをひとつ。

以前にご紹介した外間守善 著『私の沖縄戦記』からの抜粋引用です。

 

私が前田の缶詰壕に潜んでいたとき、二人の日本兵がやってきた。缶切りがなかったところにやってきた二人は勝手を知っている様子で缶詰を開け食べ始めたので私の分も分けてくれと頼んだ。無視して貪り食うばかりで、重ねて懇願するとうるさいとばかりに銃剣で脅かされ壕奥へと追いやられてしまった。私は何時間もかかって小さな穴を開け缶詰の汁をするるのが精一杯だった。

突然の銃声で目を覚ますと、壕口の二人は米軍の小銃掃射にあって転がっていた(死んでいた)。彼らに壕奥へ追いやられたことで、また私は命拾いをした

 

外間さんはあまりの戦闘の過酷さと苦痛に、もう「ひと思いに銃弾を受けて」死んでもいいと思いつつ何度も奇跡的な命運に救われ、生き残られたおひとりです。

ぜひこの著書を読んでからの前田高地訪問を強くお勧め致します

('ω')ノ

 

今回の沖縄旅の戦跡めぐりは以上になります。

何度行っても当時のまま現存する遺跡を見ると戦争は現実にあったのだと改めて思い知らされ一気にリアルに感じます。

ここ数年、終戦記念日が近づく8月になっても戦争特集番組が激減し、ほとんど見なくなりました。学校教育では「二度と繰り返してはいけない」と叫びつつもリアルさがないと子供たちにはひょっとするとシューティングゲームのようにしか映らないかもしれません。

私の中・高の出身校だけかもしれませんが、日本史の授業は明治維新を終えてからは大して時間を割かれることなくすごいスピードで終えました。

原始時代を軽んじていいとは言いませんが、弥生土器縄文土器にはすごく時間をかけるのに、終盤の近代はやっつけ感半端なかったです。

 

現在の日本の礎となる時代をしっかり学ぶことで、いつ、なぜ日本は軍国主義だったのか、なぜ戦争に突っ走ったのか、原因と経緯を知れば予防ができます。風化してしまっては繰り返し回避を未来永劫に担保できない気がします。

保存維持にはお金がかかりますが、作りものではない戦跡ほど貴重なものはありません。少しでも戦争遺跡に焦点が当たってほしいものです。

 


旅の知識・楽しみ方ランキング

沖縄旅行記(2018年 夏)②「南風原文化センター」と「前田高地(前編)」

なかなか勇気が出ず避けつつも、一度は訪れてみたかった「南風原文化センター」。

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沖縄陸軍病院南風原壕群20号」の内部見学できる上、以前テレビで当時の匂いを再現したものが作られたそうで、それがここで体験できるとか。

今回は6月23日という日に訪れているのでそういうのがメイン。頑張って行ってきました。

 

入ると右手にお姉さんが座っていてそちらで入場料ひとり300円を支払います。

そしてすぐ右脇に入り口。

 

再現した壕の内部、「穴の空いた砲弾の塀(実物)」など見学通路に沿って展示してあります。

やはり実物は圧巻です。

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 ↓兵器

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↓医薬品

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↓戦車の残骸

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いよいよ壕見学へ。

と思ったら受付は16:30までとのこと。時計を見ると16:32分…。

沖縄タイムなるものを期待しましたが、きっちりお断りされました(^^;)

 

やはり終戦記念日ということもあって、中学生たちの団体見学が多いのだそうです。

この日ほど平和学習に適した日はありませんからね。

 

というわけで翌日に予約し、会館の外(向かって左側)にある「飯あげの道」に行ってみる。陸軍病院壕へ飲食料を届けるための道です。これはNHKで見たことがあったのでどうしても見てみたかったのです。

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 陸軍病院壕での看護に動員された女学生たちが、米軍の砲弾の合間を見計らって命懸けで食料や水を運ぶために駆け抜けた道です。そういう様子も『沖縄決戦』のDVDにあります。

↓文化センターにある「飯あげ」イメージレプリカ

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そして実際登ってみる。

100mほどでギブ。

見た目より本当にびっくりするほど急勾配で、脚が重くなって登れない。

この時間になるまでの疲れもあったのでしょうが、当時はもちろん舗装路もなく私たちの疲れなど比にもならないくらいの状況で、いつ撃たれるか分からない緊張感の中を飲食料を持ってここを走ったのかと思うと、もう驚きしかありませんでした。

こういう体感はやはり現地を訪れて初めて分かるものですね。

普段からそんなに運動不足の方ではないのですが次の日はふくらはぎがパンパンに筋肉痛でヘナチョコ歩きしかできませんでした。いや~情けない。

 

そして予約当日、いよいよ壕へ。

この日は黄金森の「南風原文化センター」の逆側に位置する野球場側から車でアクセス。そこから徒歩数分で現地壕に到着です。

↓地図

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↓20号入り口

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そこにはガイドをして下さるご年配の女性。小さな受付でまた300円を支払いヘルメットをお借りします。

写真はOKなのですがブログなどには載せないことが条件です。理解の相違があって伝わるといけないからだそうです。

はい、了解です。

 

というわけで写真はありませんが、ひめゆりの女学生たちの壕のガイドから始まりその後、病院壕へ。

中は安全なようにかなり整備されていて当時の怖さはありません。ただ暗くて狭いので狭・暗所恐怖症の方は別の意味で恐怖かもしれません。

 

天井は当時のままの部分も残されていて、崩落はしないまでもボロボロと天井壁が徐々に落ちてくるので背の高い方が頭をぶつけると表面が崩れて土まみれだそうです。

埋められていた医薬品や、生活用品、米軍の火炎放射器の跡などを見ることができます。

 

基本的には壕の中は何もないので、文化センターでレプリカを見てから行くと当時の様子が浮かびます。そしてちょっと怖くなります。

↓文化センターの壕内の様子レプリカ

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ガイド時間は約1時間でした。

暑い中ガイドさんに感謝です。

 

ちょうど壕を出たところに置き忘れのような佇まいの金属製の工具箱を見つけました。

よーく見ると「ハブ捕獲機」と書いてある…。

本当に出るんだ~!と思うとそっちの方が怖くてその時のガイドさんの話がもう入ってこない。ごめんなさい。

 

それにしても73年前はここで、空腹、渇き、蒸し暑さ、暗さ、狭さ、匂い、痛み、迫る米軍、ハブ…一体何重苦に見舞われたのだろうと「想像を絶する」、とはこのことです。

 

そして病院壕を後に再び「前田高地」へ。

何度行っても迷いこむ狭い道路。ナビも黙り込む始末。行くときはぜひコンパクトカーで行ってください。前から車が来たらすれ違えず下がるしかなくなります。

予定より倍の時間かかって(迷って)ようやく到着しました。

 

前回来た時とは季節が違うので高地は草が青々とし、ハクソーリッジの崖右手へさらに続く奥、「為朝岩(ワカリジー)」へと繋がる道はけもの道のようになっていて行きづらくなっていました。

そう、私たちの行く手をことごとく阻む「ハブ注意」。炸裂です。それが決して脅しでないと、さきほど見たハブ捕獲機でリアルな注意だと知ります。

 

前回行けなかった前田高地の「乾パン壕」や「缶詰壕」。

外間氏の『私の沖縄戦記』でよく出てくるのでこれも見てみたかったのです。

↓これが絵地図。どうやって行こうか…。

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うーん、やはり 迂回するしかないようです。

アクセスポイントは「浦添大公園南エントランス管理事務所」から。

 

…が、ここが見つからない、迷って迷って何度聞いても辿り着けない、ナビはもちろん黙り込み。本来ならおそらく車で5分程度のところなんだと思います。

脇の山道に入ったり、通り過ぎたり、上がったり下がったり、もう一生辿り着けないんじゃないかと思ったほどです。

ここで約1時間のロス(*´Д`)

前田高地にある「ようどれ会館」前に車を置いて徒歩で行けばよかったのかもしれませんが、この日はかなりの猛暑。少し歩いただけでクラクラします。

そしてやっとの思いで到着。

あー涼しくて綺麗。

やっぱり誰も居ない。

所員のおじさまがおひとり。

何もないと思えたこの事務所で貴重な写真をゲットです☆

 

次へつづく…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょこっと番外編

前回記事で式典での学生スピーチが泣けてきた、と書きました。

そのスピーチ文は式次第にも掲載されています。改めて読んでも素晴らしく、しかも書いたのはなんと中学3年生。

おそらくこれを書くにあたり、多くの書籍や資料を読み、勉強し、想像し、思いを馳せ、考えたのでしょう。それでも15歳という若さでその感受性・表現力・語彙力に驚かされます。

あまりに素晴らしいので、共有させて頂ければと思い番外編にしました。

ハンカチの準備をどうぞ。

 

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に意味を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ。

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

 

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って

生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの

日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の

全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、

絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗

教を越え、あらゆる利害を越えて、平和であ

る世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせていきることだという

ことを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

原文ママ

 


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