沖縄旅行記(2017年 秋)⑥<戦跡>シュガーローフ
「シュガーローフ」も訪ねてみた
今回の旅程には入っていなかったのですが「前田高地」を訪ねガイドさんにいろいろ貴重なお話を聞いたことで、その戦況の流れを追ってみたくなったのです。(本当は「南風原文化センター」へ行くつもりだったのですが、時間が押してしまい次回へ持ち越しとなりました)
前田高地陥落後、次の激戦地となった「シュガーローフ」です。
ゆいレールのおもろまち駅近くにあり、現在は都市開発が進みほとんど痕跡は残っていません。
↓当時
↓現在
頂上部には水道局の配水タンクが設置されています。そこにはひっそりと小さな碑文があるのみです↓
わずか7日間で日米軍合わせ約五千人の死者が出たこのシュガーローフ。
事実上、ここが最後の激戦地です。
高さ20メートルにも満たないこの丘を巡って米軍と日本軍が11回にもわたって争奪戦を繰り広げました。
ここまでの死闘となったのはこの丘の陥落は首里城にある軍本部の陥落、つまり敗北を意味したからです。最大で最後の防衛ラインに位置するため、いかなる犠牲を払っても守らなければならない最後の砦だったのです。
↓シュガーローフ頂上東側からの写真。首里城が見えます(赤枠)
軍本部がもう目と鼻の先だったことが分かります。
米軍にとっても沖縄を攻略するにはこの丘を突破しなければなりませんでした。決死の覚悟で全戦力を挙げて抵抗する日本軍に対し、米軍は予想外の苦戦を強いられ「太平洋戦争を通じて最も血みどろの戦い」となったそうです。
そして圧倒的な兵力と物資・軍事力を持つ米軍を相手に、日本軍は互角以上の戦いをしたといいます。
↑『沖縄 シュガーローフの戦い』には米軍の生き残った退役軍人の話を元に赤裸々で生々しい戦いの様子が書かれていて、どれだけ苦戦したかがよく分かります。
沖縄戦は「米軍の日本本土攻略への時間稼ぎにすぎず、自らの命を代償に、米軍に可能な限り多大な出血をしいる」もので「日本兵はひたすら陣地内にひそみ、自らが死ぬ前に可能な限りたくさんの米兵を殺すべし」というのが作戦の指針でした。(「」内は上著書『沖縄 シュガーローフの戦い』より)
つまり勝つことは前提とされていない戦いだったのです。
そんな中での日本軍の頑張りが何とも胸に迫りました。
本当に日本軍は強かったんだなぁと誇らしく感じる一方で、それでもやはり兵士ひとりひとりに人生があり物語があり、大切な人がいて、もう一度会いたかった人がいたはずだと思うとこれほど命を軽んじる戦争の恐ろしさを同時に感じます。
上著書にこんな話がありました(要約)
すでに沖縄の地での死を覚悟していた海軍気象士官だったある兵士が突然東京の軍令部への転勤を受け、見送るために集まった部下の兵士らは「どうしても行ってしまうのですか」と別れを惜しみながらも「内地には砂糖がないというので、兵員一同で黒砂糖を機内に積んでおきました、内地の皆さんにお分け下さい」と言って見送った…
もう号泣です。
今回「前田高地」「シュガーローフ」と現地を訪ね、訪れる人のいない戦跡を見た時、忘れ去られているような何とも言えない寂しい気持ちになりました。当時に思いを馳せ、忘れないことで感謝や供養の形になればなぁと思います。