こだわり夫婦のお出かけブログ

潔癖が止まらない夫婦ふたり。快適な旅を追求します。

沖縄旅行記(2018年 夏)②「南風原文化センター」と「前田高地(前編)」

なかなか勇気が出ず避けつつも、一度は訪れてみたかった「南風原文化センター」。

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沖縄陸軍病院南風原壕群20号」の内部見学できる上、以前テレビで当時の匂いを再現したものが作られたそうで、それがここで体験できるとか。

今回は6月23日という日に訪れているのでそういうのがメイン。頑張って行ってきました。

 

入ると右手にお姉さんが座っていてそちらで入場料ひとり300円を支払います。

そしてすぐ右脇に入り口。

 

再現した壕の内部、「穴の空いた砲弾の塀(実物)」など見学通路に沿って展示してあります。

やはり実物は圧巻です。

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 ↓兵器

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↓医薬品

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↓戦車の残骸

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いよいよ壕見学へ。

と思ったら受付は16:30までとのこと。時計を見ると16:32分…。

沖縄タイムなるものを期待しましたが、きっちりお断りされました(^^;)

 

やはり終戦記念日ということもあって、中学生たちの団体見学が多いのだそうです。

この日ほど平和学習に適した日はありませんからね。

 

というわけで翌日に予約し、会館の外(向かって左側)にある「飯あげの道」に行ってみる。陸軍病院壕へ飲食料を届けるための道です。これはNHKで見たことがあったのでどうしても見てみたかったのです。

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 陸軍病院壕での看護に動員された女学生たちが、米軍の砲弾の合間を見計らって命懸けで食料や水を運ぶために駆け抜けた道です。そういう様子も『沖縄決戦』のDVDにあります。

↓文化センターにある「飯あげ」イメージレプリカ

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そして実際登ってみる。

100mほどでギブ。

見た目より本当にびっくりするほど急勾配で、脚が重くなって登れない。

この時間になるまでの疲れもあったのでしょうが、当時はもちろん舗装路もなく私たちの疲れなど比にもならないくらいの状況で、いつ撃たれるか分からない緊張感の中を飲食料を持ってここを走ったのかと思うと、もう驚きしかありませんでした。

こういう体感はやはり現地を訪れて初めて分かるものですね。

普段からそんなに運動不足の方ではないのですが次の日はふくらはぎがパンパンに筋肉痛でヘナチョコ歩きしかできませんでした。いや~情けない。

 

そして予約当日、いよいよ壕へ。

この日は黄金森の「南風原文化センター」の逆側に位置する野球場側から車でアクセス。そこから徒歩数分で現地壕に到着です。

↓地図

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↓20号入り口

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そこにはガイドをして下さるご年配の女性。小さな受付でまた300円を支払いヘルメットをお借りします。

写真はOKなのですがブログなどには載せないことが条件です。理解の相違があって伝わるといけないからだそうです。

はい、了解です。

 

というわけで写真はありませんが、ひめゆりの女学生たちの壕のガイドから始まりその後、病院壕へ。

中は安全なようにかなり整備されていて当時の怖さはありません。ただ暗くて狭いので狭・暗所恐怖症の方は別の意味で恐怖かもしれません。

 

天井は当時のままの部分も残されていて、崩落はしないまでもボロボロと天井壁が徐々に落ちてくるので背の高い方が頭をぶつけると表面が崩れて土まみれだそうです。

埋められていた医薬品や、生活用品、米軍の火炎放射器の跡などを見ることができます。

 

基本的には壕の中は何もないので、文化センターでレプリカを見てから行くと当時の様子が浮かびます。そしてちょっと怖くなります。

↓文化センターの壕内の様子レプリカ

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ガイド時間は約1時間でした。

暑い中ガイドさんに感謝です。

 

ちょうど壕を出たところに置き忘れのような佇まいの金属製の工具箱を見つけました。

よーく見ると「ハブ捕獲機」と書いてある…。

本当に出るんだ~!と思うとそっちの方が怖くてその時のガイドさんの話がもう入ってこない。ごめんなさい。

 

それにしても73年前はここで、空腹、渇き、蒸し暑さ、暗さ、狭さ、匂い、痛み、迫る米軍、ハブ…一体何重苦に見舞われたのだろうと「想像を絶する」、とはこのことです。

 

そして病院壕を後に再び「前田高地」へ。

何度行っても迷いこむ狭い道路。ナビも黙り込む始末。行くときはぜひコンパクトカーで行ってください。前から車が来たらすれ違えず下がるしかなくなります。

予定より倍の時間かかって(迷って)ようやく到着しました。

 

前回来た時とは季節が違うので高地は草が青々とし、ハクソーリッジの崖右手へさらに続く奥、「為朝岩(ワカリジー)」へと繋がる道はけもの道のようになっていて行きづらくなっていました。

そう、私たちの行く手をことごとく阻む「ハブ注意」。炸裂です。それが決して脅しでないと、さきほど見たハブ捕獲機でリアルな注意だと知ります。

 

前回行けなかった前田高地の「乾パン壕」や「缶詰壕」。

外間氏の『私の沖縄戦記』でよく出てくるのでこれも見てみたかったのです。

↓これが絵地図。どうやって行こうか…。

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うーん、やはり 迂回するしかないようです。

アクセスポイントは「浦添大公園南エントランス管理事務所」から。

 

…が、ここが見つからない、迷って迷って何度聞いても辿り着けない、ナビはもちろん黙り込み。本来ならおそらく車で5分程度のところなんだと思います。

脇の山道に入ったり、通り過ぎたり、上がったり下がったり、もう一生辿り着けないんじゃないかと思ったほどです。

ここで約1時間のロス(*´Д`)

前田高地にある「ようどれ会館」前に車を置いて徒歩で行けばよかったのかもしれませんが、この日はかなりの猛暑。少し歩いただけでクラクラします。

そしてやっとの思いで到着。

あー涼しくて綺麗。

やっぱり誰も居ない。

所員のおじさまがおひとり。

何もないと思えたこの事務所で貴重な写真をゲットです☆

 

次へつづく…。