沖縄旅行記(2018年 夏)①沖縄の終戦記念日
久しぶりの更新でございます。
なぜならこの半年は転職に引っ越しと、怒涛のイベントが押し寄せましてなかなか旅行にも行けない状態でございました。
…が、ようやく再び大好きな沖縄へ‼
感慨深いことに6月23日に訪れることができました。
沖縄の終戦記念日「慰霊の日」です。
そして式典にも一般参加し、沖縄戦の酷さを改めて考えさせられる貴重な時間を過ごすことができました。
今回も恒例の宿泊したホテル情報と、戦跡巡りで再びの前田高地、前回行けなかった壕、またそこで得たとても貴重な写真など載せております。
ご興味のある方はぜひご覧くださいませ<(_ _)>
まずはメイン目的となった「平成30年沖縄全戦没者追悼式」です。
梅雨も明け、式典は沖縄らしい青空・暑さの中で執り行われました。
この日は一般車両は会場となる摩文仁の平和祈念公園周辺には近づけません。混雑回避もあるのでしょうが、おそらく安倍総理、アメリカの要人出席のためセキュリティ面でかなり厳しく制限されています。
というわけで、私達はホテルからタクシーで。許可車両とタクシーのみ平和祈念公園へ入れます。
式典は11:50から始まるのですが、一般席は席数に限りがあるようなので念の為10:00頃に到着。
この日は資料館も無料開放されています。
とにかく暑いのでとりあえず中へ。
するとまるでハリウッドスターのような、軍服を着た、いかにも位の高そうなアメリカ軍人達が。
資料館の中を付き人を従えて笑顔で周り、目が合った日本人にフレンドリーに話しかけている…。
なんと平和で穏やかな光景。思わずカメラでパシャリ。
まさに73年前の今日には考えられなかった光景に何とも不思議な感じさえしました。じーっと見ていると、そのアメリカ軍人たちがこちらの方へ…。ムリムリムリムリ。
私のすぐ隣の若い男性に何やら話かけている間に ビビりの私はダッシュで逃亡。
まぁ今思えばこの上ない体験を得られたかもしれませんが、緊張しすぎて結局何話したのか記憶が飛ぶだろう為、結果的には同じかな(^-^;
とはいえ臆病すぎる自分に自己嫌悪…。
そして幾度となくニュースで見た式典が始まります。
沖縄県知事や総理、地元学生らのスピーチです。
特に女子学生の素晴らしいスピーチには目頭も熱くなり…周りからもすすり泣く音が聞こえました。
一転、首相スピーチの米軍基地問題になるとヤジが飛びます。これまで問題になる度ニュースで見るだけでしたが対岸の火事ではないことを思い知ります。
これは先ほどの軍人さん↓
そして式典は滞りなく行われ、ほぼ定刻に終了しました。
その後は一般のお焼香も可能で会場はなお祈りに包まれていました。
私たちもお焼香を済ませた後、摩文仁の丘へ。
これが号外で配られていた『沖縄タイムス』と「式次第」
↑右側は英語版。
↓「式次第」見開き。
↓ 丘から見た式典会場
これまで訪れた時はいつも閑散としていてお供え花もなかったですが、さすがにこの日は、たくさんの御花がありました。
ほぼ当時のまま原形をとどめたこの32軍の終焉の壕は、沖縄戦がよりリアルに迫ってきます。百聞は一見に如かず。どこか単なる歴史のような気がしていた戦争が心に染みる瞬間です。
「第三十二軍司令部終焉之地」とあります。左側に見える柵の向こうが壕です。
写真では見えないですが、文庫本程度の大きさの牛島中将の肖像写真が壕の入り口辺りに掛けられています。
牛島中将が自決し沖縄の組織的戦闘終結を迎えた6月23日が、まさにこの地です。
後述しますが、「戦争遺構を残すためには何が必要だと思いますか」というアンケートを、訪れたある施設でお願いされました。
一言でいうと”お金”でしょうね。その為にはやはり”関心”なんだと思います。
沖縄は戦史上稀に見る壮絶な地上戦が行われたにも関わらず、戦跡を巡ると人の少なさに驚かされます。当時を知ることをできる貴重な場所にはほとんど人はいません。終戦記念日であっても、です。
これでは資金も集まるはずはなく、遺構維持費も、そこを管理する人件費も削られて当然です。
あちこちで宅地造成が進み、現存する戦跡は今にも崩れそうなところばかりです。
これでは言葉では伝わらない部分を後世に伝えるのは難しく、風化し、忘れられていくのは想像に難くありません。
この日、摩文仁の丘は沖縄戦最期の地であるためその周辺は遺族と見られる方々がおられました。いつもよりは人が多いのでこれまで足がすくんで行けなかった所へも行ってみる…。
摩文仁の丘の頂上から、祈念公園の反対側(海側)へと降ります。
↑頂上にある「黎明の塔」
石階段があるのでずんずん降りていきます。すると左側と三叉路になります。(写真撮り忘れた…)
そのまま道なりにまっすぐ行くと「沖縄師範健児の塔」、左側の二股に分かれた道を右へ行くと「南冥の塔」、左へ行くと海へ出ることができます。その途中には井戸があり水を求めて多くの人が殺到したそうですがそこには当然米軍が待ち構えていました。
↓ 海は急に現れます。悲劇の地と美しい海が相まみえない違和感。
73年前、米軍の戦艦で埋め尽くした海。想像がつかないほど海は美しい。
そして海へ降りたかったのですが、階段が…ぱっくり割れている…。
途中ですれ違った老夫婦が「足元悪いからね~」と教えて下さいましたが悪いどころではない。捻挫確実。
脇の茂みからはガサガサっと音がするし(風だと思いたいのですが、何せあちこちに「ハブ注意」とあるのでビビりまくりです)引き上げてきました。
「慰霊の日」でもそこですれ違った人はやはり数える程度。
立派に作られた石碑や塔は祈りの場所なので怖さはありませんが、手つかずの場所には軽々に近寄れない怖さ・重さがあります。
でもそれが大切なんだと思うのです。
悲劇の怖さを感じなくなると「戦争は悲劇」という言葉が虚しく響きます。
戦争は怖いもの、と位置づけた教育を受けてきましたが正直、”怖いって何?”状態でした。(当然ですが)実態が伴わないのです。その実態を垣間見られる戦争遺構を何とか残して頂けないかと切に感じた1日でした。
次は「前田高地」と「南風原文化センター」へ。
つづく。